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2013年 12月 17日

感謝

1978年
12月10日に付き合いが始まりました。

1978年のパネル写真です。
(白黒ですが、大きいです。90cm×60cmくらいあります)


清水寺三重塔(島根県安来市)
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出雲大社ご縁でしょうかね。


かれこれ35年
いろんなことがありました。
b0273908_15204546.jpgでも、何とかやってこれたのは、辛抱強い妻のお陰です。

当時の事はザックリに書いてます。

http://lux1177.exblog.jp/21168013/







義父が他界して12年。享年71才
(とても優しい義父でした)

キャッスルマン病という病名を聞かされた妻は、
必死で調べてはパソコンに向かって不動。
顔を見るといつも涙が・・・。
毎日毎日涙しておりました。
この時の彼女を見ていると、とても辛かった。


義兄が他界して2年。享年56才
(妻と二人きりの仲のいい兄妹で、義兄は私にもとてもよくしてくれました)

平成23年11月3日お墓参りも兼ねて松江に行った時のこと。
兄の異変、緊急入院。
医者から酷な事を聞かされる。
肝硬変の末期であった。

私たちは母の事を全て兄に任せていて、認知が始まっているのにも気付かなかった。
生前、兄は「大変だ」とよく言っていました。
自分を犠牲にしていたのかもしれませんね。
もっと早く気付いてあげれば良かったと、今更ながら後悔しております。
エルグランドが欲しかった兄。
お骨の中には、エルグランドを入れています。
もちろんミニチュアですが。


私の母が他界して2年。享年84才
寒い夜、脳出血により脳幹が圧迫され・・・。


認知の始まった松江の義母。
人の言うこと聞きません。
ホント大変です。


90歳になる高知・私の父の面倒。
そこそこ元気なのですが、大変です。


妻に負担が一気に圧し掛かってきました。

毎月、高知⇔松江を往復する間
車の事が全く無知な嫁
途中で何かあっても対処できない。
義父が亡くなる前に買ったH社ストリーム

も随分とガタがきておりました。
(長距離を走るにはちょっと心配なくらい)

b0273908_10285552.jpgちょうどその頃
高速道路を颯爽と走るLのマーク
彼女は、レクサスを意識していたようです。

ルームミラーに映るその姿・・・。
一瞬で横を通り過ぎていくその姿・・・。
よくレクサスの話を聞かされていました。
憧れでもあったようです。
私はその時、レクサスを買うなんて夢にまでも思っておりませんでした。

当時、安全性が評価されていたCT200h

それが、一番ですよね。って。
妻の声が、だんだん大きくなってきた(笑)
・・・・・欲しいんだな~(と私)

カタログを眺め数日・・・・・。

じゃあー見に行ってみる?
この時は私の方が乗り気になっていた。
「マークレビンソン」というのをカタログで知ったからです(笑)

音楽が好きな私には、少しでも良い音をっていうのがあったんですよ。
試乗はしないで音楽聴いて、その日に契約のハンコを押しました。
自分でもビックリです。

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顔(車の)が気に入って、
安全性も考慮して、
CTを買ったのは1年半前。

高知⇔松江
このドライブ中が彼女のストレス解消になっている。


そんな中、私が一度タントで松江に行ったのですが、
軽四で高速・・・怖かった~って妻に言ったら・・・。
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彼女はニュースとかで、
軽四が高速で、ぶつかった写真とかを見ていたようです。

(普通に走れば何も問題ないですけど、何かあった時の事を考えていたようです)

「高速道路は軽四では心配だから買っていいよ「IS」」

「何かあってからでは、いけないし」

「後悔したくないから、できることはしてあげる」

この言葉
とても嬉しかったです・・・。



「欲しいんでしょIS」

New ISを一目見てから、
リヤドアから流れるような曲線美に一目惚れの私・もちろん「うん!」

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彼女が、レクサスの良さを充分に分かっていたからこそだと思います。

私には、とてもいい妻です。

感謝しております。



惚気てしまいましたね(笑)


皆様、
こんな私たちですが、どうか宜しくお願い致します。

この動画の笑い声(チョッと変)が、
いつまでも続くように元気であって欲しい。
そう願ってます。






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by LUX1177 | 2013-12-17 19:25 | | Comments(18)
2013年 12月 15日

ジャズ喫茶

運命のジャズ喫茶「ウェザーリポート」

少し長くなるかも。

私のことから・・・
今から30数年前、私は静岡県に本社がある会社から、
サービスエンジニアとして島根に転勤となりました。
関西転勤希望だったのですが、島根も関西圏だったのです。
その時は、ど~しよう~って思いました。
このことが、私の運命を大きく変えることになったのです。

当時島根は、陸の孤島と言われていたようで、今のように便利ではなかったように思います。
そして、会社出勤初日、総務課で最初に目にしたのがクリクリパーマの彼女。

この時はお互い、良い印象ではなかったんですよ。
私の印象は「凄いパーマの宇宙人」
彼女の印象は「怖そうな高校の先生」



それが、何故か?
ある日、
営業のKさんに誘われmay-beに行った時、たまたま彼女とSさんが居たんです。
そして、どういうわけか?蒜山にKさんの車でドライブ・・・セリカのリフトバック
この車が調子悪くディストリビューターを外して掃除したり何とか帰りついたのが、
午前3時頃だったと思います。
普段の日だったので、当然寝不足で出社・・・若気の至りですね。

それからですかね・・・お付き合いをはじめたのは・・・。

(このときはお互いに・・・まさか?結婚するとは思っていませんでしたね。)

よく行ったのは、「may-be」そして、ケーキの美味しい(今も営業しています)
「 リビドー」
懐かしかったので、少し前ケーキを買いに行ってきました。
イケメンの店主も年取って・・・笑
そして「ウェザーリポート」

このジャズ喫茶「ウェザーリポート」も先輩のKさんに教えて頂いたような?
薄い記憶があるようなないような?笑

はじめて入って印象的だったのが、長友マスターのモヒカン
黒っぽい服装に蝶ネクタイしていたように思います。
当時の私はそのいでたちが衝撃。

その時は、従業員かなって思っていました。
後に、その方が長友マスターと分かったのは随分後のことでした。

お店は全体的に暗くどうなっていたのか?全く覚えていないんです。
そして、ジャズを聴くよりその雰囲気を味わっていたって言うのが本当のところです。
ジャズ?なに?そんな無知な私がジャズ喫茶「ウェザーリポート」を語るなんて100年早い!?
でもね。・・・あの当時の雰囲気は行ったものしか分からないと思います。

彼女と行くたびにロッキングチェアーに座り珈琲を飲み・語る
何を話していた覚えもないほど他愛のない話。
話が尽きても音楽が聴こえる。

テーブルを挟んで向かい合って置いていた椅子。
ロッキングチェアーを少し動かした・・・マスターが動かしたら駄目って。
何度行っても動かすと叱られた(笑)

音楽を聴く位置にセットしてあったのだろうか?
今ではもう分からない。

生きているうちにもう一度会ってみたかった。
頭の片隅にすごく惜しい人を失った感じが今もず~っとあります。

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私の人生の中で大きく影響を与えた場所、ジャズ喫茶「ウェザーリポート」
そして影響を与えた人、長友マスター

この記事の末筆に書かれている言葉を見るたびに涙が出るのは私だけでしょうかね?

死んだあとに、
ああいうおじさんがおったなあって、
その人の脳裏に残るだけでいい。
そういう人が30人はおる。
それだけでも、
ぼくはもうたのしいなあ、思うてる・・・・・。





蔵りすとさんのブログです。
写真が載ってます
消えゆくジャズ喫茶ウェザーリポート




マスターが涙が出るほどいいと言っていた
IreneSchweizer イレーネ・シュヴァイツァー

私には、少し難しいようです(汗)



長友マスターのこと、よく知らないのですが、
引き寄せられてしまいます。
もう居ないのに何故か?そんな魅力がある方だったのです。
いつか?またお会いできるといいなあ・・・。夢の中でも・・・




「抜粋」
ここからは、いろいろなサイトで見つけたいろいろな話です。

奇しくもジョン・コルトレーンが亡くなって40年目の年に、一時的に再開されたジャズ喫茶「ウェザーリポート」で「クル・セ・ママ」を聴くことができた。この曲は、コルトレーン晩年の作品で、伝統的スタイルから更なる進化を求めた意欲作。この前衛的ジャズを私のような怠け者がいまさら聴くのは少々エネルギーを必要とする。亡くなったこの店のマスターが、凝りに凝ってつくり上げた音響装置で聴くアナログのLPの音楽は、さびついたまま眠っていた脳のどこかの部分を久しぶりに刺激された気分だった。

ジョン・コルトレーンが亡くなったのは1967年7月17日。私が大学生になって上京したその年だった。おりしも70年安保を控えて学生運動が盛んになり始めた頃で、しばらくするとあちこちの大学は学校封鎖になるし、新宿騒乱罪適用、赤軍派事件、東大安田講堂占拠、よど号ハイジャック事件、成田闘争など、騒然とした世情になっていく。学生は数人で町を歩いているだけでやたらに職務質問される。

そんななかで聴くコルトレーンは、抑鬱された学生の気分にぴったりだったし、その頃あちこちにあったジャズ喫茶で時間をつぶし、何時間も聴き入ったものだった。多くのジャズ喫茶はオーディオ装置を自慢にしていて、大音量でアナログのLPレコードをかけてくれる。

ウェザーリポートのマスター長友さんは、たしかブランドものの洋服を行商販売していて、まだ喫茶店を開く前は仕事のついでに時々松江を訪れていた。松江に着くと駅通りの「ダン」によく寄っていた。島根銀行駅通り支店の向かいのあたりで、階段をとんとんと上がる小さなスナックだった。威勢のいいママがいて客を見てコルトレーンやバド・パウエルをがんがんかけていた。

長友さんはそのうち松江に本拠地を移して宍道湖が近い旅館街の千鳥町にお店を開店することになる。
オーディオに対する懲り方は半端ではなかった。単に機器に凝るだけではなく、音のために一番良い立地、電源、周辺環境選びから始まったと聞いている。長友さんが亡くなって、永年休止していた機器を整備し、今回久しぶりにその音が復活したことは奇跡に近い。ジャズ喫茶が次々と姿を消した中で、全国でもまれなオーディオシステムが復活した。

ウェザーリポートは、松江市の開府400年を記念して復活オープンされ、10月6日から28日まで開店された。

2010年 03月 12日: 神戸の方で残念ながら数年前にお亡くなりになっていた。



ガウスの音は出がJBL。松江にかつて在って今は閉店しているジャズ喫茶のウェザーリポートが街をあげての築城300年記念イベントの一環で一ヶ月だけ開けるというので、二人で出かけてきたのだ。マッキントッシュのアンプを左右で6台使った音はすさまじいものがあった。松江に国内最高クラスのオーディオ装置を有するジャズ喫茶があるというのは知られている。
 ジャズ喫茶という業態は構造不況業種になってしまった感がある。考えてみればこの構造不況業種という言葉自体が既に死語なのだが。喫茶店というものをめぐる環境が変化してしまったのも一因だが、音楽が多極化してジャズを聴くひとが少なくなったことも原因のひとつとして挙げられるだろう。ウォークマンからMD,そして最近のiPodと比較的良質な音源が常時得られるという状況もある。なにも高いコーヒー代を払って、タバコの煙にむせながらジャズを聴かせてもらう必要はないということだろう。しかしなにか違うんだなあ。ジャズ喫茶の衰退には淋しい思いがつきまとう。
 



 ウェザーリポートのマスターはなぜ松江に移り住んでまでジャズ喫茶を開いたのだろうか。生前、あるひとの問いに答えて言葉少なにこう語ったという。「すべてを捨てなきゃいかんのだよ」うーん、含蓄のある言葉だ。これをどう取るかが問題だ。
 松江は宍道湖と中海に挟まれたところに位置している。市内を幾本もの川とも運河ともつかぬものが横断して、一種水の都とも言うべき趣を呈している。昨夏には長雨の影響で宍道湖が増水し、市中心部が水没してしまった。県庁所在地の都市に隣接してこのような巨大な湖がある例は国内では珍しいだろう。百万石の金沢ほどではないものの、文化面、特に味覚に関しても独自のものを持っている町である。


判る人だけ来てくれればいいというような営業形態になっていたウェザーリポートだが、文化の薫りのする古都にジャズを根づかせられなかったマスターの長友さんはさぞかし無念だったのではなかろうか。


ジャズが生まれて100年余り
アメリカでジャズと呼ばれて100年余りでしょうか?


松江という保守的な田舎町の中では異端児のような・・・
唯一その当時フリーを聞かせてくれたり教えてくれたジャズ喫茶・ウエザー・リポートの長友マスター

毎週水曜日の夜はウェザーでレコードでのジャズフラッシュ
レコードコンサート終了後には数人でジャズ談義・・・・・etc
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by LUX1177 | 2013-12-15 23:05 | 音楽 | Comments(6)